「後継者がいないなら、長年頑張ってくれた社員に会社を譲りたい」
「でも、社員に株式を買い取ってもらうのは負担が大きいだろうから、無償で譲渡できないかな?」
中小企業の経営者にとって、会社の未来を託す後継者選びは大きな悩みの種です。親族以外で会社を承継してもらう「第三者承継」の中でも、特に信頼のおける役員や従業員にバトンタッチする**「従業員承継」**は、会社の理念や文化を引き継ぎやすいという大きなメリットがあります。しかし、その際に多くの経営者が考えるのが、後継者となる社員の金銭的負担を軽減するため、株式を無償で譲渡することが可能かどうかという点です。
「無償なら社員も喜んでくれるだろう」と思うかもしれません。しかし、結論から言うと、会社には価値があり、株式を無償で譲渡した場合には、税務上、非常に大きな問題が発生する可能性があります。
本記事では、M&Aや事業承継を考える経営者の方に向けて、社員に株式を無償で譲渡した場合に発生する**「思わぬ税金(みなし贈与)」のリスクと、その具体的な仕組み、そして代替となる現実的な承継方法や税金対策**を、どこよりも分かりやすく徹底解説します。大切な会社を社員に託したいと願う経営者の方に、予期せぬトラブルを避け、円滑な承継を実現するための正しい知識を提供できれば幸いです。
1. 原則として「無償譲渡」はNG!思わぬ税金「みなし贈与」のリスク
「無償で株式を渡す」という行為は、一見すると税金がかからないように思えます。しかし、税務の世界では、**「時価のあるものを無償で譲渡する」**ことに対して、厳しい目が向けられています。ここに「みなし贈与」という考え方が登場します。
1-1. 「みなし贈与」とは?
「みなし贈与」とは、贈与ではない形式で財産が移転したにもかかわらず、実質的に贈与があったとみなして贈与税が課税されることです。
会社(非上場会社)の株式は、たとえ譲渡対価がゼロ円であっても、その会社に資産や利益があれば「時価」(税務上の評価額)があるとみなされます。この「時価」を持つ株式を社員に無償で譲渡した場合、以下の税金が発生するリスクがあります。
- 株式を譲り受けた社員(受贈者):時価と譲渡価格(ゼロ円)との差額に対し「贈与税」が課税されます。もし会社の株価が高ければ、社員には想像もしないような多額の贈与税が請求されることになります。
- 株式を譲渡した社長(贈与者):無償譲渡の場合、通常、社長側には所得税は発生しません。しかし、会社が無償譲渡を指示したとみなされる場合、会社から社員への給与、あるいは社長から社員への贈与とみなされ、社長側に贈与税や会社に源泉徴収義務が発生する可能性もゼロではありません。
1-2. なぜ「みなし贈与」が生じるのか?
税務当局は、財産の無償または著しく低い価額での移転を放置すると、相続税や贈与税の課税を免れる抜け道になると考えています。そのため、財産の価値が移動した事実を重視し、実態に応じて課税するという原則に基づいて「みなし贈与」を適用するのです。
特に、会社を引継ぐ社員は、通常の給与所得者よりも高額な株式を受け取ることになるため、税務当局のチェックが厳しくなる傾向にあります。
2. 社員への承継で発生しうる税金の種類(無償・有償問わず)
社員への事業承継を考える際には、「みなし贈与」だけでなく、その他の税金についても理解しておく必要があります。
2-1. 社員(後継者)側にかかる税金
- 贈与税(無償譲渡・低額譲渡の場合):上記で説明した「みなし贈与」による課税です。時価と譲渡価格の差額に対して課税されます。税率は累進課税で最大55%と高額です。
- 所得税(時価より低い価額での譲渡の場合):社員が時価よりも低い価額で株式を買い取った場合、時価と買い取り価格の差額が「経済的利益」とみなされ、給与所得として所得税(最高45%)や住民税(10%)が課税される可能性があります。この場合、会社には源泉徴収義務が発生します。
2-2. 社長(現経営者)側にかかる税金
- 所得税・住民税(譲渡所得):社員に「有償」で株式を譲渡した場合、売却によって得た利益(譲渡所得)に対して課税されます。非上場株式の譲渡所得は、**約20.315%(所得税・復興特別所得税15.315%+住民税5%)**が課されます。
- 相続税(相続による承継の場合):社長が亡くなり、社員(後継者)が遺言などにより株式を「遺贈」された場合、その株式にかかる相続税が発生します。
このように、社員への株式譲渡は、無償であっても有償であっても、社長側と社員側の双方に様々な税金が発生する可能性があります。特に「無償で渡す」という行為は、社員に多額の贈与税を負わせるリスクが極めて高いため、安易に行うべきではありません。
3. 社員への円滑な承継を実現するための現実的な選択肢と税金対策
「それでは、社員に会社を継いでもらうには、どうすればいいんだ?」と不安になったかもしれません。しかし、ご安心ください。社員の負担を軽減しつつ、円滑な事業承継を実現するための方法はいくつか存在します。
3-1. 事業承継税制(特例措置)の活用
社員への承継を考える上で、最も強力な税金対策となるのが**「事業承継税制(法人版・特例措置)」**です。
- 非同族社員も対象:この制度の特例措置は、親族だけでなく従業員(役員)も後継者として対象になります。
- 贈与税・相続税100%猶予:要件を満たせば、後継者(社員)が自社株を取得する際に発生する贈与税や相続税の納税が100%猶予され、将来的には免除されます。これにより、社員は多額の税金を気にすることなく、経営に専念できます。
- 注意点:複雑な要件(特例承継計画の提出、後継者の役員経験・代表権、継続要件、報告義務など)があります。税理士などの専門家と綿密に連携し、計画的に進める必要があります。
3-2. MBO(マネジメント・バイアウト)の活用と資金調達支援
社員(役員)が会社を買い取るMBOは、資金調達が課題となりますが、複数の方法を組み合わせることで実現可能です。
- 金融機関からの融資:後継者が設立する新会社(SPC)を通じて、金融機関から買収資金を融資してもらうのが一般的です。メインバンクなどに相談してみましょう。
- 創業者の資金援助(オーナーローンなど):社長が株式の売却代金を一括で受け取らず、分割で支払う形にする「オーナーローン」という方法もあります。これにより、社員の初期資金負担を軽減できます。ただし、社長側には回収リスクや税務上の注意点があるため、必ず専門家と契約内容を詰める必要があります。
- 退職金や役員報酬の活用:社長が会社から退職金を受け取ることで、会社の利益を圧縮し、株価を下げることが可能です。また、後継者となる社員の役員報酬を承継後に引き上げることで、買収資金の返済原資を確保しやすくすることも検討できます。
3-3. 株価対策の実施
事業承継税制の適用を受けない場合でも、承継前に会社の株価を下げておくことで、後継者の税負担を軽減できます。
- 役員退職金の支給:社長が会社から退職金を受け取ることで、会社の利益が圧縮され、株価の評価額が下がります。退職金には税制優遇があるため、効果的な対策となります。
- 配当の実施:会社の内部留保を配当として株主に還元することで、株価を引き下げる効果が期待できます。
- 不要資産の売却:会社の事業に直接関係のない不動産や有価証券などを売却し、会社の資産をスリム化することで、株価を下げられる場合があります。
3-4. 段階的な株式譲渡
一度に全株式を譲渡するのではなく、数年かけて少しずつ株式を譲渡していく方法もあります。これにより、後継者の資金負担を分散させることができます。ただし、議決権の移動時期や、その都度発生する税金には注意が必要です。
4. まとめ:社員への承継は「無償」ではなく「賢く」
社員に会社を無償で株式譲渡することは、**「みなし贈与」として多額の贈与税が課税されるリスクが極めて高く、安易に行うべきではありません。**社員に会社を託したいという想いを実現するためには、税務上の正しい知識を持ち、適切な方法を選択することが不可欠です。
- 無償譲渡は原則NG: 「みなし贈与」として社員に高額な贈与税が課されるリスクが高い。
- 社員側への税金: 贈与税(無償・低額譲渡)、所得税(低額譲渡)、相続税(相続の場合)。
- 社長側への税金: 所得税・住民税(譲渡所得)が主。
- 最有力は「事業承継税制(特例措置)」: 親族外の社員も対象で、贈与税・相続税が100%猶予・免除される。
- MBOと資金調達支援: 金融機関融資、オーナーローン、退職金活用などで、社員の負担を軽減。
- 計画的な株価対策: 承継前の株価引き下げも有効な手段。
社員への承継は、会社の理念や文化を引き継ぎ、従業員のモチベーションを高める上で非常にメリットの大きい選択肢です。しかし、その実現には、複雑な税務・法務の知識と、資金調達に関する戦略が不可欠です。
必ず税理士をはじめとするM&A・事業承継の専門家に早期に相談し、自社の状況と社員の意向に合わせた最適な承継スキームを構築してもらいましょう。専門家のサポートを得ることで、予期せぬトラブルを避け、あなたの大切な会社を、信頼する社員へとスムーズに、そして賢くバトンタッチできるはずです。