「経営理念を作りたいのですが、コピーライターにお願いすれば良い言葉にしてくれますか?」
「数時間のインタビューで、かっこいいスローガンを提案してほしい」
企業のブランディングや事業承継の支援を行っていると、このようなご要望をいただくことがあります。効率を重視する現代のビジネスにおいて、プロに任せて短時間で成果物を出したいというお気持ちはよく理解できます。
しかし、私たち勝継屋は、そのようなご依頼に対しては正直にお答えしています。「ただ耳障りの良い言葉を作るだけなら可能ですが、それでは組織は変わりません」と。
私たちは、一社の経営理念を構築するために、経営者様と向き合う対話の時間だけで**「最低30時間」**を費やします。
なぜ、そこまで時間をかける必要があるのか。それは、経営理念とは表面的な言葉遊びではなく、経営者の人生そのものであり、組織の命運を握る「魂の叫び」でなければならないからです。
本記事では、なぜ短時間のヒアリングでは機能する理念が作れないのか、そして勝継屋が実践する泥臭くも本質的な「魂の言語化」プロセスについて解説します。
なぜ、数時間のヒアリングでは「本物」が作れないのか
世の中には、数時間の取材で洗練されたキャッチコピーやステートメントを納品するサービスが溢れています。Webサイトの見栄えを良くするためだけであれば、それでも十分かもしれません。しかし、経営の根幹を成す「理念」としては不十分であり、時には危険ですらあります。
その理由は、「借り物の言葉」には経営者を支える強度がないからです。
経営は、困難の連続です。売上が激減した時、信頼していた幹部が辞めた時、大きな決断を迫られた時。そのような極限状態で経営者を奮い立たせ、迷いを断ち切る判断軸となるのは、プロが整えた綺麗な言葉ではなく、経営者自身の血肉から絞り出された「本音の言葉」だけです。
また、社員は敏感です。社長が本心から思っていない言葉、外部の誰かが作っただけの言葉を掲げても、「また社長がかっこいいことを言っているだけだ」と冷めた目で見られ、決して組織に浸透することはありません。
本物の理念を作るためには、経営者の表層的な思考(建前)を剥がし、深層心理にある「なぜやるのか(Why)」や「絶対に譲れない価値観」に到達するまでのプロセスが不可欠なのです。
勝継屋が「30時間」を費やす3つの理由
私たちが提供する理念構築プログラムでは、徹底的な対話(壁打ち)を行います。30時間という膨大な時間をかけて、一体何をしているのか。その理由は大きく3つあります。
1. 経営者の人生(原体験)を丸裸にするため
理念の源泉は、未来の願望ではなく、過去の体験の中にあります。
「なぜ、この事業でなければならないのか?」
この問いに答えるためには、創業の経緯や事業の話だけを聞いていても不十分です。
- 幼少期にどんな家庭環境で育ったか
- 学生時代に何に熱中し、どんな挫折を味わったか
- 人生で最も怒りを感じた出来事は何か
- 誰にも言えていないコンプレックスは何か
一見ビジネスとは無関係に思えるような、経営者個人の「原体験」を徹底的に掘り起こします。時には触れられたくない過去や失敗談にも踏み込みます。なぜなら、その人の人格を形成した強烈な体験の中にこそ、その人独自の「こだわり」や「使命感」の種が埋まっているからです。
他社と差別化された強いブランドは、この泥臭い原体験からしか生まれません。これらを共有し、因数分解するには、相応の時間と信頼関係の構築が必要です。
2. 顕在化していない「無意識のこだわり」を炙り出すため
「弊社の強みは特にありません。当たり前のことをやっているだけです」
多くの経営者様、特に実直なものづくり企業や老舗企業の皆様はそう仰います。しかし、外部の視点から見ると、その「当たり前」の基準が異常に高いケースが多々あります。
- 「お客様からの電話は3コール以内で取るのが常識」
- 「見えない部分の仕上げにこそ時間をかける」
- 「利益が出ても、義理を欠く取引はしない」
経営者や社員にとっては呼吸をするように自然なことでも、それがその企業の独自のカルチャーであり、競争力の源泉です。この「無意識のこだわり(暗黙知)」は、本人たちが自覚していないため、通常のインタビューでは出てきません。
「なぜそうするのですか?」「他社ではやりませんが、御社ではなぜやるのですか?」と、しつこいほどに「なぜ(Why)」を繰り返し、無意識を言語化して形式知へと変換する作業。これには根気強いラリーが必要です。30時間かけてようやく、「そうか、私たちが大切にしていたのはこれだったんだ」という核心に辿り着くのです。
3. 「額縁」ではなく「武器」になるレベルまで解像度を上げるため
「社会貢献」「誠実」「顧客満足」。
30時間の対話を経て抽出された想いを、このような抽象的な熟語にまとめてしまっては意味がありません。それではまた「額縁に飾られるだけの言葉」に逆戻りしてしまいます。
私たちが目指すのは、現場の社員が迷った時に使える「判断基準(バリュー)」としての理念です。
- 「誠実」とはどういうことか?
- →「バッドニュースこそ1分以内に報告すること」
- 「顧客満足」とはどういうことか?
- →「お客様の期待を1%でも上回る提案をすること」
このように、日々の行動や評価制度に直結するレベルまで解像度を高め、具体的な行動指針や数値目標(ビジョンマップ)へと落とし込んでいきます。
美しいスローガンを作るのではなく、泥臭い「行動のルール」を作る。ここまでやり切るからこそ、組織が変わるのです。
実際のプロセス:「魂の言語化」の全貌
では、実際の30時間はどのように進むのか。ケースバイケースですが、典型的なプロセスをご紹介します。これは経営者にとって、決して楽な時間ではありません。自分自身と向き合い続ける、知的でタフな総合格闘技のような時間です。
フェーズ1:発散と共有(過去〜現在)
経営者様(場合によっては後継者様や幹部数名)と膝を突き合わせ、あるいは合宿形式で、ひたすら「想い」を吐き出していただきます。
幼少期の話から、創業の苦労、現在の課題、社員に対する不満や期待まで。ホワイトボードを埋め尽くすほどの言葉を書き出し、思考の断片をすべてテーブルの上に並べます。ここでは整理することよりも、すべてを出し切ることが重要です。
フェーズ2:収束と構造化(核の発見)
出し切った膨大な情報の中から、一貫する共通項を見つけ出します。
「一見違う話に見えるが、根底にある価値観は同じではないか?」
「この行動の裏にある動機は、あの時の原体験から来ているのではないか?」
散らばった点と点を線で結び、その企業の独自の「DNA」を特定します。このフェーズでは、私たちコンサルタントが壁打ち相手となり、仮説をぶつけながら、経営者様の腹落ちする言葉(コア・コンセプト)を探り当てます。
フェーズ3:言語化と実装(未来)
核となるコンセプトが決まったら、それを「ミッション・ビジョン・バリュー」の形へと整えます。
ただし、美しく整えることが目的ではありません。
「このビジョンで、社員はワクワクするか?」
「このバリューで、現場の判断は早くなるか?」
実効性を徹底的に検証し、何度も推敲を重ねます。そして最終的に、Webサイトや採用ブック、評価制度といった具体的なアウトプットへと接続するための設計図を描き上げます。
30時間は「コスト」ではなく、未来への「投資」である
「理念を作るのに30時間もかけるなんて、時間がもったいない」と思われるかもしれません。しかし、長期的な視点で見れば、これほどROI(投資対効果)の高い時間の使い方はありません。
このプロセスを経て作られた強固な理念があれば、以下のような劇的な変化が起こります。
- 経営判断のスピードが上がる: 迷った時の立ち返る場所ができるため、意思決定が早くなります。
- 採用のミスマッチが減る: 価値観が明確になるため、合う人だけを採用し、合わない人を断る基準ができます。
- 組織の自走力がつく: いちいち社長が指示しなくても、理念に基づいて社員が自律的に動けるようになります。
これらはすべて、経営者が本来注力すべき「未来の仕事」に時間を使うための土台となります。たった30時間の投資で、その後の10年、20年の組織運営が劇的に効率化されるのです。
